ムンバイ初日〜大阪万博やりました〜(11/23)

こんちは。

 

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(13時〜18時までムンバイ市街地を歩きまくりました)

 

唐突ですが何か時代が動いてる気がしませんか。私は大阪万博が決まってすごくワクワクしました。

 

大阪万博楽しみです。ぶっちゃけ誘致できると思ってなかった。

 

何なら明日香村/藤原京世界遺産目指してますキャンペーンと同列くらいのレベルで見ていました。これは本当に申し訳ないです。

 

千里丘陵から夢洲へ。

 

何か2020年の東京五輪だけで終わってしまわない感じが凄く良いと思います。

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(ムンバイ市民の憩いの場となってる何とかビーチ。全く泳ぎたいと思わないカラスだらけのビーチ)

 

しかも、来春から元号平成が終わるという。

こんなに国事的に様々な節目やイベントを迎える中、個々一人一人の生き方が平成(その多くは昭和から引き継いだもの)とおんなじ事を繰り返してるようじゃアカンなと強く思ってきました。

 

この旅中、時間があるので時事動画やニュース記事を見まくっておりましたが、当たり前としてた価値観が崩壊しつつある過渡期にいることがとても良く分かりました。そしてそう間もないまま社会的通念が勝手にどんどん変わってくんだろなってのも同時に感じました。

 

しかし案外周りの我々の世代を見渡すと、頭では分かってんのに、何か無理して70年代大阪万博の価値観引きずってるなーという気がします。マイホーム神話、ニュータウン三種の神器核家族化、みたいなもの。

 

日本史上この上ない成功体験だったからこそ、またそういうものだと刷り込まれたからこそぬぐい切れてない価値観なのかなと思います。平成って、それに気が付きだしたタームなんだろうなと私は位置付けてます。

 

国のお金のやりくりも、年々増す高齢者向け社会保障の重みで教育や将来に向けたお金が使えていない現状は皆分かってる事だし、それが持続できるはずがないのも知っている。そしてそれを政府も変えてこうとしてるのに、私らの世代がちんたら旧態依然の経済システムで同じ事繰り返すのって良くないと思う。

 

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(甘いチャイで少し休みましょう)

 

また海外に話を移すと、世界には天井を知らずのポテンシャルを持った優秀な人達が人種国籍関係なく途方もない数存在しています。これから益々教育機会が平準化されていくので、いわゆる知的労働で高収入を獲得していくフィールドにおいて「日本で国公立大出ました」みたいな知的レベルでは、もう太刀打ちできない気がしています。

 

そんな世界を見据えて、「充実した幸福な人生とは何か」と思考を巡らせていくと、ローカルな世界でフリーランス的に如何に生活の種を成立させていくという事が一つ大事なことかも知れないと思いました。要は自分にしかやれない価値をニッチでローカルなフィールドで発揮すること。

逆に言うと、グローバルでサラリーマン的な生き方というのは日本でそこそこ良い大学出ても、もはや厳しい戦いな気がしてます。フラットな世界で成果主義の中、彼らより年収を稼げる気がしない。。

 

ただその局面の訪れが意外と早いのか遅いのか計り知れない部分もあり、日本の政財界は何だかんだで貯金を切り崩しながら今の形態を思いの他長く持続していくかも知れません。

ここは様子見をしつつ、私がすべき事は会社組織を存分に活かしながら、一方で世界で自分しか出来ない小さな守備範囲でキラリと輝ける自分の能力とコミュニティを準備しておく事なんじゃないかと思いました。何回も言ってるけど何のビジョンもないけど。笑

 

以上だいぶ長くなりましたがムンバイの熱気と喧騒がそうさせているのかも知れません。

 

それでは。