市ヶ谷、お岩稲荷、赤坂(4/11-12)

こんちは。

 

相変わらず徒然なるままに散歩し、旨い飯を食い、よく寝ている。

 

土曜日は市ヶ谷駅を降りかつて三島由紀夫が立て籠り割腹自殺した市ヶ谷駐屯地(現防衛省)をチラ見したり、四ツ谷の迎賓館を見に行ったり、警備員のたくさんいる学習院初等科を舐めるように見たりした。

特に目的は無い。歩いた事が無かったからという理由だけ。そのまま四谷怪談で有名な於岩稲荷へ。住宅街の中にあるこの神社は縁切りの神様と呼ばれる少し怖い神様。

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境内の紹介文には縁切りではなく悪縁を絶ち良縁を結ぶというポジティブワードに置き換えられていた。

しかしながら悪縁と言うものの何らかの縁を絶つ事を望むということはえげつないものである。善悪は主観的であり、悪と判断している自分の未熟さが要因であることが多いのでは。

 

この神社を歩きながら俺は過去にも絶ちたい悪縁など何一つないと思った。合わない人は自然に付き合わなくなるし、無意識に一緒に居たい人を選んで生きてるからだろう。合わない人でえさも出会えたからこそ合わないと学べた訳だから悪縁でもないだろう。

悪縁と思える人と関係が続いてしまうのは実は自分からその付き合いを進んで選んでるからではないでしょうか。

あまり縁切りをお願いする人の気持ちが分からなかった。(そもそも悪縁って何だろう?)

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それでは。