こんちは。
運とは何かを科学的に調べたアメリカの学者が居た。
運が良い人と運が悪い人。
その違いは何なのか。
運を良くするためには何をしたらいいのだろうか。
その答えを教えてもらったエピソードをご紹介。
ちなみにここで言う運の良い人、悪い人というのは、個人が主観的にそう思うというレベルでは無くて、周りからも何故かあの人は運が良い、何故かあの人は運が悪い、と客観的に思われるような極端な人々をピックアップして行った実験である。
運の良い100人と運の悪い100人を集めて合宿をした。あるテストでは壁の向こうには男がいるか、女がいるか、あるテストでは投げたコインが裏か表か。
このように確率論では1/2の試験を、運の良い人グループと運の悪い人グループのそれぞれに実施したところ、運の良い人の方がやはり運が良く正答率が高かったと言うことは当たり前の話でそうはならなくて、どちらの正答率も有意な差は無く同じ50%であった。
しかしとある試験で決定的な差が出た。
それは新聞を渡して、その新聞記事の中に写真はトータルで何枚あるかを短い制限時間の中で当てさせる試験であった。
実は新聞のとあるページの記事の中に、「この新聞には34枚の写真が載っている」とこの問の答えが書いてある文章が隠されていたのである。
運の良い人グループはその文章を見つけ出し、正答する割合が高かった。一方運の悪い人グループは文章は気にも留めず、一生懸命写真の枚数を制限時間いっぱいいっぱいまで数え続け、結果間に合わず不正解だった割合が高かったのだ。
つまりこの実験の結論はこうだ。
どんな人の人生も、日常にチャンスは平等に転がっている。
それ自体に不平等は存在しないのだが、本人がそれに気付くだけのアンテナをその時持っているかいないかの違いなのだ。「運の良い人」を言い換えると、「運=運ばれるもの」を良く掴む人のこととも言えるかもしれない。
何気なくそのアンテナを持っている人は何となくそれに気付き、何となくうまくいくように行動している。アンテナを持たざる人は、新聞の写真探しのように、無理ゲーをただ頑張ってしまっている状況が多くなってしまう。
もちろん宝くじの様に、純粋に確率論的に運の良い人もいるので、全てのケースをこれで説明できる訳では無いが、世間一般的に言われている運の良い、悪いは概ねこういうことなのではなかろうか。
そう納得してしまった話であった。
そのアンテナ作りはどうすべきか。。
知的好奇心なのか。要領の良さなのか。
なかなか決定的な要素を言い切るのは難しそうだ。
靴買った。