GW突入!いや、SH週間らしい。。(4/28)

こんちは。

 

最近難しい本をある程度時間かけてしっかり読めるようになりました。まじでウイルスのおかげです。しばらくは統計と会計を頭にかち込んできます。

数字は嘘をつかない。

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また今回のウイルス蔓延で思いめぐらせ考えたことを書いてみます。

何事もそうですが緊急度が高く重要な案件は皆んな一生懸命時間かけて改善するし、一方緊急度が低く大して重要でもない案件は放っておいても大して影響も無く終わる。

一番やっちまったーとなるのは緊急度は低いがひとたび起こるとクリティカルヒットする超重要案件。。その悪影響がたとえ計算不能な無限大クラスでも、いつ来るか分からないけどいつか来る課題に対し予算や労力をかけて準備をすることは超絶難しい。ましてやそのいつかが起きる前の社会においてはそれが解決策となり得ていたものが、いつかが来てしまったことによりオセロが全部裏返ったみたいに一転窮地に陥るなんて事になってしまうということが現実に起きる。。

 

今回ウイルス蔓延が始まる前の日本の喫緊の国難は増大し続ける社会保障費の対策でした。そのソリューションとして国の大まかな政策方針は民営化を進め市場原理の力で病院の経営効率を上げること。そして経営指標の目標達成や補助金インセンティブに使ったりして国内の病床数を抑制することでした。医療費と病床数は明確に相関するからです。

これらの方針でどうなったかと言うと世界一の病床数と医療体制を誇りながらも、対ウイルスで言うと感染症患者に使える病床が圧倒的に少なく、ひとたび蔓延しだすとすぐ医療崩壊危機に瀕するという弱点を抱えた医療体制になっていきました。(まぁ日本社会だけがこうと言う訳ではありませんが。)

市場原理に任せると感染症指定医療機関は少なくなるのは当然の帰結です。感染症病棟は単年での経営成果を求める民間の運営ではマッチしません。蔓延すれば突発的に忙しくなりますが、それが何年も流行らないうちは経営資源の無駄と判断され別の病棟に置き換えられます。ウイルスが蔓延していない世界においてそれが病院の経営的には正しいからです。

これは経済学で言う市場の失敗と呼ばれるやつです。これに対する処方は国が大きな政府となって助けるしかありませんし、こう言ったいざという有事の際に必要とされるある種の無駄(余裕)は、市場原理に任せるのではなく公共サービスとして国が提供、管理すべきでした。とは言うものの有事というのはいつでも未曾有の事態であり、どこまで金を積んでどのレベルの無駄まで用意するのかとか、財政難の中それを民主主義政治が大局的に判断して予算を割けるかと言うとそれもまた難しそうです。

まぁアメリカから最新鋭のステルス戦闘機を何十機も買うという無駄よりは、この規模のウイルス蔓延の方が全然将来予測は立っていた訳で、外交の事情も絡みだすと限られた資源を中長期的に、合理的で、日本ファーストな国の予算編成なるものは絶望的に険しい道な気がしてきます。それが利権政治が本質と化している自民党政権なら尚更です。。

というところまで書いて絶望感で終わるといういつものパターンになっている気がするのでそろそろ終わります。こういう時は特にですが、誰かを批判したくなったり、何が間違っていて誰が悪いのかみたいな感情が起きがちです。Twitterとかで日々そんな言説を見ています。

自分でコントロール出来ることに集中し、個人としてはこれをきっかけに学びを得て、自分の成長に繋げていきたいと思います。

 

さて、連休スタートですがここまで盛り上がりに欠ける連休インは後にも先にも今回限りでしょう。今回限りにしたい。集団免疫時代よ早く来い。。

 

それでは。